2003年に開催された水戸芸術館での個展、「国連少年」での展示風景。
アーティストの椿昇は、2001年の横浜トリエンナーレで発表した全長50メートルの巨大なバッタや、イラク戦争開戦直後に水戸芸術館で開催した2003年の個展「国連少年展」など、これまでの長いキャリアにおいて常にインパクトの強い作品や挑発的な展示で話題となってきた。そして、56歳になる今も時代に取り残されることなくテクノロジーを活用した作品を制作しながら、地域社会でのアートプロジェクトにも多数参加している。京都造形芸術大学で教鞭を執り、偉大な教育者とも呼ばれる彼は、これからの社会における芸術のあり方にどのような意見を持っているのだろう。
みなとみらいの高層ホテルの壁面に現れた巨大な「飛蝗」の設置風景。
先にも述べたように、椿氏と言えば視覚的に巨大でインパクトの強い作品で知られているが、そこにテクノロジーが活用されていることも特徴のひとつだ。例えば、ウェブ・プロジェクトの「RADIKAL DIALOGUE」は、椿氏が仕事でパレスチナを訪れた際に、パレスチナとイスラエルを分断する壁を直に目にしたことから、世界中の人々が参加出来るものを、と始められた。これは、ミニチュアの壁が描かれた紙をサイトからダウンロードし、そこに各々がデザインを施して再びアップしていくというもの。2005年に始めて以来、世界中から新しいデザインが絶えずアップロードされているのだという。
「時々サイトを覗いて新たな投稿があると嬉しくなります。始めた時から作品がずっと増え続けていて、それはたとえ僕が死んだとしても続くのでしょうから、そこがウェブの凄い所ですよね。しかもたった一個人がやり始めたことであるにも関わらず、今では多言語、多文化な人々が関わり合って新しいものを生み出しているから面白い。マルチカルチュラルであることは、インターネットの持つ大きな可能性のひとつですよね。」
ウェブ・プロジェクト「RADIKAL DIALOGUE」のトップページ。
作品アーカイブの一部。こちらはカナダからアップロードされたもの。
このようなウェブ上でのプロジェクトに対して、日本国内の美術館やアート関係者が反応することは少ないというが、本人はインターネットを通して個人同士が興味を引かれ合って新しいプロジェクトが進んでゆくことに面白さを感じているようだ。海外のアーティストからコンタクトも増え、それが外国のイベントや展覧会への参加に繋がっているという。
「僕は対社会で何かをするということをさほど考えてはいなくて、極めてパーソナルな動きをしている。つまり、それに対して反応してくる人がいて、それを通して個人的なネットワークをどれだけ持てるかが重要なんです。日本ではアーティストの活動が国内にとどまりがちですが、目の前だけを見て制作するのではなく、今後はもっと人と会って話すことが必要になるだろうと思っています。テクノロジーに関しても、手技と二項対立する傾向がありますが、正岡子規が新しい表現方法で俳句を生み出したように、新しい方法で表現していると考えられるはずなんですよね。」
浮遊した状態で歩けるようにプログラミングされたスーツを着たパフォーマンス、「moonwalker」。
プログラミングされたマッサージチェア。スパムメールが来ると、動くしくみになっている。ウイルスと気持ちよく暮らすという、インターネット時代の皮肉を込めた作品。2004年にパリで開催されたロボット展で展示。
しかし、一方ではグローバルやテクノロジーというキーワードとは対極にも思える地方都市でのアートプロジェクトにも椿氏は頻繁に参加している。現在、各地で増えている地方でのクリエイティブな活動に関して、どう考えているのだろう。
「地方都市での政策は基本的に利害関係でドロドロになっていることが多い。そこに天使のように舞い降りるのがアーティストの役割ですよ(笑)。産業がない地域では、観光に頼らないとやっていけないと考えられがちですが、一番重要なのはそこに住んでいる人々がいかにハッピーな生活を送れるかだと思っています。そうすれば若い人もその土地を離れていかないでしょう。最近、クオリティオブライフ(生活の質)ということが叫ばれていますが、ただミュージアムを作るだけではなく、それをサポートする仕組みが出来ないとその街の文化的バリューは上がらない。例えば子育て対策でも子ども手当をつけるとかではなく、美術館に託児所を作ったりしたら面白いと思うんですよね。」
2004年の取出アートプロジェクトで地域住民と共に作った炭焼き機「窯象」。この作品では環境問題や国際援助を訴えた。
なるほど、アーティストはある意味で今までなかった考え方を提示できる位置にいるのかもしれない。アーティストが社会に対して投げかけていくべきこととはどのようなことだろうか。椿氏は自身の活動で「ラディカル」という言葉を含んだタイトルのプロジェクトをいくつか行っているが、それは「根源的であること」を重視しているからだと言う。
「何かありきの話をやめて、一度白紙に戻した対話をする必要がある。例えばミュージアムを建てることが地域活性化になると言われたとしても、“本当にミュージアムっていいの?ミュージアムって何?”というレベルから考えた方がいい。これからはモノをデザインするというよりも、経験をデザインする必要があるからこそ、その街においての経験でどのような価値が得られるのか、を考えていくことが重要だと思うのです。それは子どもの頃には誰もが問うことで、何かを考えるにあたって、非常にシンプルで合理的な進め方なのではないでしょうか。」
椿昇さん。
現代社会では、アーティストは単に美術館やギャラリーで作品を展示するだけではなくなってきたと言えるだろう。インターネットにしろ、いかに新しいモデルを作り上げていくかが必要なのだ。そのような社会で、若いクリエイターがいかに生き残っていくかということに対して、椿氏のメッセージはいつも決まっているらしい。
「TOEICを受けましょう。それから、脱出パラシュートを用意すること。そうすることで、日本から脱出できるというある種の非常口に手をかけておける(笑)。サバイブするということは、つまりエスケープするということで、戦って死ぬのではなく、生き残ることが重要なんです。そのためには若いクリエイターはもっと世界で活動していくべきだと思っています。日本特有の文化の中でしか生み出せない強みはあるはずだから、それをどう生かしていくかを実践して欲しい。僕も、高層ビルで働く経営者達が持っているという40万円くらいの脱出パラシュートがヤフオクに出るのを今は待っているんですよ(笑)。」
(Text:Ayana Watanabe)
椿昇/Noboru Tsubaki
1953年京都生まれ。京都市立芸術大学美術専攻科西洋画科修了。80年代から現在まで美術と社会との関係を問い直すインパクトの大きい作品を発表し続けている。2003年イラク戦争開戦後に行われた水戸芸術館での「国連少年」展や、2005年に始めたパレスチナの壁に関する「ラディカル・ダイアローグ」プロジェクトなどが話題となった。2004年より京都造形芸術大学空間演出デザイン学科、学科長。













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