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FILE.016 (03/27, 2009) 信念の向こう側に / 伊藤雅子 - 伊藤雅子

伊藤雅子は、ただ自分が就きたい舞台美術家という職業に向かってまっすぐに進んできた。「念じればやりたい仕事と出会える。」彼女はそう言うが、それは自分のやりたいことを叶える為に潔いほどアグレッシブに行動してきたからこそ辿り着いた好循環の波のように思える。自分を貫き通すこと。そこには、鉄のような堅い意志があることは言うまでもない。

絶対になる、という固い決心
─伊藤さんはこれまでずっと舞台美術を専門にされてきたのですか。
そうですね。大学1年の時、小劇場の美術からスタートして、大学卒業後、すぐにアシスタントとして8年ほど修行しました。独立して4年位になるでしょうか。今は年に20本から30本の舞台美術をこなしています。
─このお仕事を志望されたきっかけは何だったのでしょうか。
元々、バイオリンをやっていたんですが、普通の高校に進学してその道を諦めた時に、妹とミュージカルを見に行ったんです。そのミュージカルの装置があまりにも綺麗で、妹に向かって「お姉ちゃんコレやる、私の仕事はコレ!」と言ったのが高三の時かな。その後、日芸で舞台美術を学べると知って、「日芸を受けるためにデッサンが必要なんですけど…」と、美術の先生を訪ねて、昼休みの間デッサンを教えてもらいました。結局、一浪して唯一受かった東京造形大学で家具を専攻したんです。その頃は、ただ舞台美術をやりたいという気持ちだけが強かったのですが、1年生の時に知り合いから突然「旗揚げする劇団があるんだけどやってみる?」と言われたんですよ。ラッキーでしたね。早速、大学の図書館に行って「舞台装置技術全書」という本を借りて全部コピーしたり、朝倉摂、高田一郎、妹尾河童、金森馨といった大先生達の写真集や本を見ながら、独学で勉強しました。
─独学とはすごいですね。
今でも最初の舞台を覚えていますが、必死に絵を描いて、模型を作っていましたね。当時の写真を見ると、学生のデザインではありますが、真面目にやっていたんだなと思います。
─その後は、どのようにして他から声がかかったのですか。
初めの頃は小劇団とか小劇場という言葉すら知らなかったですし、学生でお金もなかったので、ぴあのチケットプレゼントにひたすら応募していました。それで舞台を見に行って、配られるアンケートに、「舞台美術を勉強しています。何かあったら声をかけてください。」と書いたら連絡が来たりして、少しずつ色々な方と繋がっていきました。
─自分を売り込むのは得意な方ですか。
どちらかと言うと考えるより行動に出る方なので、自然とやっていると思うんですよ。大演出家に手紙を出したらお返事が来て、一緒にお仕事をさせてもらえることになったなんていうラッキーなこともありましたし、すごく念じていたら本当にその人とのお仕事が実現したことも何度かあるので、結構運がいいのかもしれないですね。
タイトル:「死の舞踏」、公演カンパニー:演劇集団円、期間:2008年7月17日~31日、作:A・ストリンドベリー、台本・演出:安西徹雄
─念じて仕事ができたというのもすごいですね。大学卒業後は、事務所に入られたそうですね。
知り合いに「あそこに行くと色々なデザイナーさんが出入りしているから紹介してもらえるよ。ちなみに、奥様も美術家なんだけどね。」と言われて、センターライツアソシエイツという会社を訪れたんです。結局、そこの奥様の松井るみさんという舞台美術家のアシスタントとして事務所に入り、松井さんが私の師匠になりました。
─そこでは一から教えて頂けたのですか。
ええ。最初の頃は並行して小劇場の美術もやっていたんですが、学生時代の緩い気持ちがぬけず遅刻もしたりして「本当に美術家になりたいんだったら、アシスタントに専念しなさい。」と怒られて、小劇場を全部辞めてアシスタントに専念しました。そこは大きい劇場の仕事ばかりで、それまで私が小劇場で作っていたものとは全く違うものを手がけていました。本当に0からのスタートになってしまって、当時は頭の中も真っ白でした。
─師匠の松井さんは厳しかったですか。
厳しかったですよ。アシスタントとして認めてもらえるまでに2、3年かかりましたし、8年間は厳しい年でした。周りは経験を積んでから入社する方が多くて、私みたいに大学を卒業したばかりの人間が入ってくることがなかったんですが、たまたま松井さんがアシスタントを探していた時期と重なったんですね。過去に美術家志望でその会社に入ってきて、結局夢を叶えられなかった人達がいたので、周りから「そこにいても美術家にはなれないよ」と言われたりしながらも「私は絶対に美術家になる」と心の中で決めていました。
─固い決心だったんですね。自分の中で「こなせてきた」と思われたのはいつ頃でしたか。
大学を卒業して3、4年経った頃に、徐々に仕事にも慣れて、図面や模型もそれなりに出来るようになり、後は淡々と繰り返しの作業だったので、その時に自分で何かを始めたいと思って、2001年に世田谷パブリックシアター主催の「アメリカ」というコンペに応募したんです。一次審査が絵で、二次審査が模型だったんですが、私の絵は本当に下手くそで、最初に描いた絵と最終的に出来上がったものが全然違ったにもかかわらず、それでも運よく通ったんです。それが私にとって、プロのデザイナーとしての初仕事だったので、自分のモチベーションを上げられましたし、プロとしての経験を持てたことで師匠の気持ちも理解出来て、本当に良い勉強になりました。もちろん周りの方のバックアップもありましたが、「色々やれるかも」と自分で思えるきっかけにもなりました。
─これまでに挫けそうになったことはありませんでしたか。
今でも「もうダメかも」と思うことはありますよ。ありますけど、そばにいてくれる人に話したり、落ち込んでいても良い現場に当たったりして、乗り越えてくることができました。周りの人に恵まれているのかもしれませんね。あとは、自分で自分に「おまえなら出来る」とかよく言ったりしていますけど(笑)。 でも、年を追うごとに脆くなっているとは思います。学生時代は「私、有名になるから」とよく言っていましたし、以前は人に厳しく言うタイプだったんですが、今は自分が出来なくてどうしようと思うことが多いです。先に進めば進むほど仮題も大きくなるので、そういった意味では少しずつ気持ちに変化が出てきているのも確かですね。

そこでしか見られない、それが醍醐味
─普段は色々な方と打ち合わせをしてから、自分なりのイメージを作っていかれると思いますが、アイディア出しは大変な作業ではないでしょうか。
台本がありますし、演出家さんからの「こういう風にしてみたい」という要望があるので、自分が迷わない限りアイディアが尽きることはないんです。4月に行われる作品は北アイルランドが舞台なのですが、去年たまたまオランダに行った時に、その作品の調査の為に北アイルランドまで足を延ばしてみました。余裕がなければ無理ですけれど、可能な場合はその舞台となる場所を訪れたりもします。殆どはネットや本や映画で調べたりして、アイディアを出します。ヒントは、台本の中と周りに沢山転がっています。
─演出家の方とのコミュニケーションの部分で心がけていることはありますか。
ある程度自分の頭の中でイメージが出来上がった状態で打ち合わせることもありますが、まずは相手の要望を聞くようにしています。最初はお互い違ったものをイメージしていても、試行錯誤を繰り返しながら、最終的に求めるものが同じ方向に進めばいいと思っています。逆に、受け入れられないと煮詰まってしまうこともありますが、それは自分の引き出しが少ない証にもなってしまうので、なるべくそうならないよう心がけています。
─今までに「これは難しかった」という経験はありますか。
出来るだろうと思いつつも、毎回「できるかな…」と不安になります。例えば、シェイクスピアのような洋ものや、昔の日本の設定だと想像しやすいんですけれど、現代の作家による作品で”レストラン”という設定だとすると、幅が広すぎて一体どんなレストランなのかよく分からないんですよ。そういう場合が一番難しいかもしれないですね。
─舞台美術では小道具も大道具も手がけられるのですか。
そうですね。どこまで見えるかにもよりますが、小道具の場合は、あんな感じがいい、こんな感じがいいと、小道具を貸し出しているところからチョイスをして借りてくるんです。最近はネットで安く買えるので、家具は買う事もあります。大道具の場合は、小劇場では上手にアレンジしなおしてリサイクルする時もありますが、基本的には全部新たに作ります。殆どの場合、一度使って壊してしまうんですけれど。
─ちょっと寂しいですね。
でも、それが逆に良かったりもするんです。学生時代は、最後に劇場が空になる瞬間を見て、また何か新しいのを作りたくなっていました。もちろん写真やビデオで記録として残すものもあるのですが、演劇の醍醐味は劇場に行かなければ見られないものだったりしますから、その空間もその時だけのものとして考えるんです。ひょっとすると、それがこの仕事を続けていられる一番の魅力なのかもしれないですね。
タイトル:「審判」「失踪者」(2作品同時上演)、公演カンパニー:世田谷パブリックシアター、期間:2007年11月15日〜12月8日、作:フランツ・カフカ、構成・演出:松本修(撮影:益永葉)
舞台美術は私の全て
─舞台美術を始められた当時と今では演劇は変わったと思われますか。
今のものが全部そうだというわけではないですが、私が目指し始めた15年くらい前の方が魅力的な俳優が多くて、芝居のひとつひとつにパワーのあるものが多く、そこでしか見られない価値が高かった気がします。今はとある部分でそれらが少し薄れて、以前よりは熱がなくなった気がしますよね。もちろん今のご時世にもとても関係があって、この役者を使えば動員数が稼げるとかいう話になると、どうしてもこの作品にとって何がベストなんだろうと考えなくなってしまうこともあると思うんです。ひとつの作品を皆でクオリティー高く作るという考えは、最近増えているプロデュース公演よりも劇団や新劇系の方が強いのではないかと思います。今はやりたいことと仕事の線がクリアになってしまって、仕事が趣味で仕事が好き、と言えない人も多いのではないでしょうか。
─生きがいと呼べる仕事、ということですね。
そうですね。今は社会全体がそんな流れになってきているように思うので、美術家もそうなってきたのかもしれない。社会情勢を含めた上で、皆の気持ちに変化があるような気がします。徒弟制度の日本から完全に抜け出そうとし格闘している世代なのかな。とは言え、私も自分の活動する環境の変化で、流されている部分を反省する時があるので、私自身も色々と気をつけていきたいですね。
─最後に、伊藤さんにとって舞台美術とはどのようなものですか。
私にとって舞台美術は無くてはならないものになってしまっています。仕事をしている時が一番素なのかもしれないですね。私自身というか、今はそれが全てなのかもしれないです。
─では、今後引退を考えることはなさそうですか。
今は考えていないですし、今後も考えられないかもしれないですね。でも、引退しなくていい職業ですから、そういった意味ではやりたいだけやればいいし、もしかしたら辞めたいと思う日が来るかもしれない。過去に一度だけあったんです、辞めてもいいかなと思ったことが。今思うとあれは7年間働き詰めで、休みが殆どなくて、仕事をこなすだけでいいのかとか、文化庁で海外に行かせてもらった時どう人間らしく生きようかとか考えたりしたんですよね。まあでも、結局この仕事が楽しくて続けちゃってるんですけど(笑)。
11 Questions - moonlinx が訊ねる11の質問
Q1 あなたにとってインターネットとは?

便利なもの。気が付いたら使っているかも。

Q2 最近最も気になることは?

演劇業界にこの先どんな不況の波が押し寄せてくるのか。

Q3 最も影響を受けたアーティストは?

カンディンスキー/フンデルトワッサー

Q4 将来の夢は?

結婚できるかは別として人の親になりたいです。

Q5 自分を一言で言うと

常に何かが足らない、図々しいくせにどこかで小心者。

Q6 好きな音楽は?

ヘビメタ以外は何でも聞きます。特に好きなのはクラシックとジャズ。

Q7 クリエイターに向けて一言

クリエイトする事、自分の職業を好きでい続けてください。

Q8 座右の銘

情けは人のためならず/人の振り見てわが振り直せ

Q9 どんな子供でしたか?

男の子みたいな子。

Q10 今の職業をやっていなかったら何をしてますか?

バイオリンの先生。

Q11 最近ブルーになったこと

体重計にのるとひたすら太り続けていること。

伊藤雅子
Masako Ito

WEBSITE: http://home.b04.itscom.net/masa_noa/

1973年、長野県生まれ。舞台美術家。東京造形大学を卒業後、舞台美術家の松井るみに師事。2005年よりフリーとして活動を開始する。これまで手がけた作品は、世田谷パブリックシアター「審判」「失踪者」、演劇集団円「オリュウノオバ物語」「ロンサム・ウエスト」、新国立劇場「エンジョイ」、イデビアン・クルー「補欠」「政治的」、青年座「痕-KON-」「その鉄塔に男たちはいるという」、グローブ座「イノなき」「未定〜壱〜」など。
2005年度第33回伊藤熹朔賞新人賞を演劇集団円公演「オリュウオバ物語」で受賞。2008年度第15回読売優秀スタッフ賞を世田谷パブリックシアター公演「審判」「失踪者」で受賞。


NotSame.

クリエイターからクリエイターへ。紹介されたクリエイターにインタビューをし、またその紹介をたどる。数珠繋ぎのように尋ねていく連載企画。「NotSame.」では、「つながり」に焦点を当て、彼らのパーソナリティに迫ります。

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